今般の北海道を襲った北海道胆振東部地震で安否不明だった方が見つかった。
しかし無念の知らせだった。
無休で捜索にあたった方々には本当に頭が下がるし、感謝しかない。
未だ避難所生活を強いられている方も多く余震も続いている事から、まだまだ普通の生活
には遠い状態であるので、とにかく健康には留意してほしい。
そんなバカヤロー地震当時、小生は赴任先の宮城に滞在しており、直接、地震の被害は受
けなかったが、自宅のある札幌には家族がおり、家族は地震の影響を受けた。
しかし、怪我もなく元気であることに感謝すると共に自分の無力さに、程々切なくなってしまう。
今回の地震で亡くなられた方、怪我をされた方、お悔やみを申し上げると共にお見舞い申し
上げます。 一日でも早く、今までどおりの平穏な生活に戻ることを切に願うばかりである。
平成30年9月6日 3:00過ぎ・・・・悪妻より 「さっき、大きな地震があったけど大丈夫だから」
と寝てる最中に電話がくる。
どうせ、大した地震じゃ無いだろうと思い、テレビをつけたところ・・・・とんでもない状況に驚く。
再度、悪妻に連絡を取ったところ・・・・ 「タンスや棚等が倒れて、家の中はぐちゃぐちゃで余震
はあるものの片付けてる」 との回答だった。 改めて、家族の無事を確認してから携帯の電池
節減のため、電話を切り、再度、テレビにかじりつく・・・・・怒りが込み上げる。
悪妻が 「大丈夫だ」 との回答を受けるも、テレビでは尋常でない様子を写し出してた。
何としてでも自分の目で状況を確認しなければならない衝動に駆られる。
震源は安平町・・・・比較的近い千歳空港は恐らく機能してないと考え、名取から車で青森まで
行き、フェリーで青森から函館に渡り、函館から車で札幌までの経路を模索した。
しかし、色々と問い合わせをしたが無理だった。
その間、ココ宮城でも若干、地震の影響で揺れたと思われ、宮城にいる仕事上のお客様や知
り合いの方たちから 「ご家族、大丈夫?」 との旨の携帯が鳴り止まない状態だった。
併せて会社本社にも連絡を取り、完全ではないものの無事である事も確認する。
空が徐々に明るくなり、再度、悪妻に状況の確認の為、連絡を試みる。
遂に携帯が通じなくなった。
何時もの出勤時間となり、テレビで報じる悲惨さを横目に仕事場へ行く。
報道では土砂崩れがあった町と我が家が住む地域の悲惨さを伝えていた。
幸い日中、仕事をしながらも家族との連絡が取ることができた。
ガスや水道、家屋については問題なしとのことだった。
しかし色々と困っている様子を知るも、声で対応策を伝えることしか出来なかったが、大学生の
息子がしっかり親父代わりを務めてくれた。
仕事では宮城のお客様からも激励の言葉を頂いたり、アドバイスを頂いたりと勇気づけてくれた。
そしてお見舞いもいただいてしまった。
あの忌まわしい東日本大震災を経験している方たちだからこそ説得力もあるし、素直に話を聞く
ことができた。
思えば、宮城県に赴任が決まったのは息子が高校生、娘が小学生だった。
息子には 「男はお前しかいないから親父代わりも頼んだぞ」 と言ってきたが、まさか、こんな
大惨事になった時も親父代わりを務めてくれたとは・・・・頼もしいと思った反面、自分の無力さを
感じた数日間だった。
余震が続くなか、金曜日の夜にやっと電気が繋がったと悪妻より、連絡が入った。
自分も冷静さを取り戻し、悪妻に家屋や近所のインフラ状況などを確認し、若干だがひと安心
する。
土曜日は以前より計画していた宮城の仲間との野営の日だった。 今回の地震の関係で何も
手につかず、自宅アパートの家事は一切やっていなかったし、そんな気分でも無かったので、
計画していた野営には不参加を決めていたが、悪妻から背中を押され、ちょっとだけ顔を出して
帰るつもりで現地に向かった。
宮城の仲間からも励ましの言葉をいただいたり、可笑しく接してくれ、気分のリセットが出来たし、
心配事が少し減った気分だった。
札幌の仲間は依然、私の住む地域の一部が、未だ断水状態となっていることを報道で知り、
「ポリタンクで水持っていくよ~」 との言葉もいただいた。
宮城の仲間からは、「ホント、じょんさんは仲間に恵まれているよな~」 と言っていた。
本当にそのとおりだ。 ホント、皆さんには感謝しかない。
仲間のお陰で生かされているとしか言いようがないのである。
今週の金曜日は北海道へ帰るので、家族の元気な姿を見たい。
そして、まだ避難所生活を強いられている方々が激減していればと切に願うばかりだ。